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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)2427号 判決 1984年11月26日

原告 谷山昌子

<ほか二名>

原告三名訴訟代理人弁護士 髙橋勉

同 木ノ内建造

同 森公任

原告三名訴訟復代理人弁護士 細野卓司

被告 国

代表者法務大臣 嶋崎均

指定代理人 松本智

<ほか三名>

主文

原告らが東京都世田谷区桜上水五丁目所在の別紙図面ABCDAの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地三三・五四二一平方メートルを所有していることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、いずれも、亡田代正房(以下「亡正房」という。)及び亡田代文栄(以下「亡文栄」という。)の子である。

2  亡正房は、昭和一一年四月一日、当時の所有者鈴木藤太郎から東京都世田谷区桜上水五丁目五二八番五の土地(以下「五二八番五の土地」という。)を賃借したが、この五二八番五の土地には、西側に隣接する別紙図面のABCDAの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地三三・五四二一平方メートル(以下「本件土地」という。)が含まれているものとして賃借したため、両土地上に木造瓦葺二階建居宅を建築し、両土地を使用するようになった。

3  五二八番五の土地は、昭和二二年六月二八日、鈴木藤太郎から被告に物納され、昭和二四年九月二日、被告から亡正房に払い下げられ、同人が五二八番五の土地の所有権を取得した。

4  亡正房は、五二八番五の土地の払下げを受けた当時、本件土地が五二八番五の土地の一部であると思い、本件土地について所有の意思で占有を開始したため、二〇年の経過によって本件土地を時効取得した。

5  昭和五二年六月四日、亡正房の死亡によって亡文栄、原告谷山昌子、同柳田啓子が亡正房を相続し、次いで、昭和五四年四月一二日、亡文栄の死亡によって原告田代正芳が亡文栄を相続した。

よって、原告らは、被告に対し、原告らが本件土地を所有していることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否と被告の主張

(認否)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実中、亡正房が鈴木藤太郎から五二八番五の土地を賃借したことは認め、本件土地が五二八番五の土地に含まれるものとして賃貸借したことは否認し、その余は不知。

3 同3の事実は認める。

4 同4の事実は否認する。

5 同5の事実は不知。

(被告の主張)

1 本件土地は、建設省所管の公共用財産すなわち国有地であり、次の経過により、現在世田谷区が認定した区道となっている。

本件土地は、古くから存在する里道であったところ、明治六年三月二六日太政官布告一一四号(同布告一二〇号改正)「地所名称区別」に基づく官民有区分により、そのころ国有地とされた。その後も、本件土地の南側に接続する公道と北側にある公道へ通じる生活道路として付近住民らのために通行の用に供されてきたものであるが、旧道路法(大正八年法律五八号)の規定により東京府荏原郡松沢村道とされ、同村が昭和七年一〇月一日東京市に編入されたのに伴い、東京市が引継ぎを受け市道となった(昭和一八年七月一日東京都制実施)。

その後、昭和二七年一二月五日現行道路法(同年法律一八〇号、以下「新法」という。)が施行され、同法施行法(同年法律一八一号)三条の規定によって、新法施行の際に市道も新法における都道とみなされることとなるとともに、同施行法五条の規定により、東京都は、本件土地について国から無償貸付けを受けたものとみなされることとなった。

更に、昭和二八年三月三一日都道の路線廃止が行われ、同年四月一日特別区道として世田谷区に一括移管され、世田谷区は、地方自治法施行令(昭和二二年政令一六号)附則四条及び新法の規定に基づき、路線の認定をし供用を開始した。以後、世田谷区が本件土地について管理を続けてきたものである。

2 そして、本件土地のような認定区道である公共用物については、行政主体による明示の公用廃止の意思表示により公物としての性質を失わない限り、公物としての不融通性を有し、その間は、私法の適用がなく、時効取得の対象とはならない。

3 本件土地は、世田谷区が認定した区道であることには変りなく、被告側としては、本件道路敷を整備することにより、地域住民の通勤、通学等のための道路を確保する必要がある。

三  被告の主張に対する原告らの反論

1  本件土地は、亡正房が占有を開始した昭和一一年四月一日以前から道路として使用されていず、今日に至るまで一度も公の目的に供されたことはなく、公共用財産としての形態、機能を全く喪失していた。

2  被告が主張する区道のうち、本件土地の北側に隣接する部分は、昭和二四年ごろから今日まで栃木洋子外の建物敷地として占有使用されていることからみても、本件土地を生活道路として維持することは、非現実的であり、不可能である。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、3の事実と、亡正房が昭和一一年四月一日に鈴木藤太郎から五二八番五の土地を賃借したことは、当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

1  亡正房は、鈴木藤太郎から五二八番五の土地を賃借する際、同土地に本件土地が含まれていると思い、両土地上に木造瓦葺二階建の建物を建築し、同建物に居住して両土地を使用するようになった。

2  亡正房が昭和二四年九月二日に被告から五二八番五の土地の払下げを受けた際も、同土地と本件土地の使用状況は、従前と変りがなかったため、同人は、本件土地も五二八番五の土地の一部として払下げを受けたと思い、本件土地と五二八番五の土地上の前記建物に居住して両土地の占有を継続した。

3  そして、亡正房の本件土地の占有は、前記払下げの日である昭和二四年九月二日から二〇年間継続した。

なお、証人梅津節郎は、亡正房が、昭和四三年六月ごろ東京都世田谷区に対して同区桜上水五丁目五二八番八の土地を道路敷として寄付する際、本件土地が区道であることと、本件土地を明け渡すことを認めた旨供述するが、同供述は、これを裏付ける証拠はなく、また、その後、同区が亡正房ないし原告らに対して本件土地の明渡しを求めていない(明渡しを求めたことが認められる証拠はない。)ことからみて、採用することはできない。

また、《証拠省略》によると、亡正房は、五二八番五の土地の払下げを受ける際、本件土地が国有地であることを知っていたことを推認する余地もあるが、前記認定に供した各証拠に照らすと、この証拠だけでこの推認をすることにはちゅうちょせざるを得ない。また仮に同人がこの事実を知っていたとしても、その後の本件土地の占有状況からみると、同人の占有が善意無過失のものであったかが問題となるだけで、同人が所有の目的で占有していたことを否定する証拠とはならない。

三  被告の主張について

1  《証拠省略》によると、本件土地は、被告の主張1のとおり、国有地であり、世田谷区が現在区道に認定していることが認められる。

2  ところで、《証拠省略》によると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(一)  本件土地は、亡正房が占有を開始した昭和一一年四月一日以前から道路として使用されていず、同人は、本件土地を五二八番五の土地と一体の土地として両土地に接する道路と隔絶した形で使用し、被告から本件土地の払下げを受けてから昭和五七年に前記建物を建て替えるまでの間、その使用状況に変化はなかった。

(二)  原告田代正芳は、昭和五七年、前記建物を建て替えることとし、その建築確認申請等の手続の際、本件土地が区道の指定を受けていることを初めて知り、本件土地上の建築確認が受けられないため、五二八番五の土地上に建物を新築した。

(三)  そして、原告田代正芳が前記のとおり新築するまでの間、亡正房や原告らは、被告、東京都、世田谷区などから本件土地の明渡しを求められたことはなく、近隣住民から本件土地の占有について異議を述べられたこともなかった。

(四)  また、本件土地に北接する部分の土地は、五二八番五の土地に北接する同番一二の土地の所有者が同番一二の土地と一体として使用し、本件土地との境界線(別紙図面のA、Dを結んだ線)上には、ブロック塀を設置しているため、本件土地だけを道路としても、その道路としての機能を発揮できない。

3  2で認定した事実によると、本件土地は、それが世田谷区道であるとしても、長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、道路としての形態、機能を全く喪失し、亡正房は、五二八番五の土地の払下げを受けて以来、本件土地を平穏、公然に占有を続けてきたものであり、そのために実際上公の目的が害されたこともなく、もはやこれを公共用財産として維持すべき理由がなくなったといわざるを得ず、本件土地は、黙示的に公用が廃止されたものとみることができる。

四  以上の事実関係によると、亡正房は、本件土地を時効取得したことになる。

そして、《証拠省略》によると、請求原因5の事実が認められるから、原告らは、本件土地を所有(共有)していることになる。

五  以上の次第で、原告らの本件請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 春日通良)

<以下省略>

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